Socioak Group

女性リーダーインタビュー「挑戦し続けるキャリア」
~現場の栄養士、営業を経て、人財育成の新リーダーへ~

人財育成部 部長 富井三枝子さん

グループ社員約9000人、その人財育成を一手に担う新しい部署のリーダーに抜擢された富井三枝子さん。スーツを着こなすキャリアウーマンの雰囲気もある富井さんですが、キャリアのスタートは現場の栄養士でした。大学病院の栄養士から事業所の立ち上げ、営業開発など多様なキャリアを経て、現在はフード業界だけでなくグループ全体の研修プログラム開発や現場力の推進を16人の部下と共に取り組んでいます。

営業開発や新部署の立ち上げなどキャリアチェンジのタイミングでは「よし、やってみよう」とポジティブに向かう姿に男女とも憧れる社員は多いです。プライベートでは大学生と中学生の2人のお子さんをもち、趣味を発信するSNSではフォロワーが数万人?!という富井さんにお話をお聞きしました。

大学病院での管理栄養士がキャリアのスタート

── 現在は「現場力」や人財育成といった仕事をされているイメージが強いですが、もともとは栄養士だったのですね。

富井さん(以下敬称略) はい、別の給食会社で大学病院の管理栄養士をしていました。600床の病院で、現場での調理や献立作成、栄養管理なども行っていました。そこでは、3年ほどでリーダー的なポジションになったのですが、とにかくハードなスケジュールでしたね。

── 大学病院を選んだのは?

富井 就職先を考えているときに、周りの友人が「大学病院大変だよ」と言っていたんです。でも「あえてやってみたいな」と笑。実際、朝4時に出勤したり残業も当たり前だったりと、大変でしたが、子どもから高齢者まで幅広い方々へ治療食を作る経験をできたのは大きくてやりがいもありました。

── あえて選ばれたのですね笑。何年くらい務められたのですか。

富井 5年ほどです。現場で栄養士業務をしている中、これから先どうなるのだろうってキャリアを考えたときに、ずっとこの仕事ではいられないなって。フードコーディネーターの資格を取ったりもしました。 そのタイミングで1人目の子どもができたのですが、当時その会社に育休の制度がなかったので、キャリアを考えていたこともあって、退職することにしました。

栄養士を志したきっかけは摂食障がいという実体験

── 退職後しばらくは育児に専念されたのですね。

富井 1年間は子育て優先でした。子育ても好きで楽しい時間でした。1年後、今のソシオークグループ、当時の葉隠勇進に入社しました。

── 今、お子さんはおいくつなのですか。

富井 長女は今、大学生で、私と同じ大学の管理栄養士コースで勉強しているんです。小学生高学年のときに、授業の作文で「夢は栄養士になりたい」って書いてくれて。長女いわく私が「楽しそうに仕事をしていた」らしいです。栄養士になりたいと思ってもらえたということ、そのうえ自分と同じ大学に進んでくれたのは本当にうれしかったです。

―― 自分と同じ道に進んでくれるのは親として一番うれしいことかもしれないですね。

富井 家で仕事の話をすることもあったので、その姿を見てくれていたのかなって。

―― 富井さんご自身が栄養士に関心をもったきっかけは?

富井 高校2年生のとき、食生活の乱れがあったんです。「好きなものだけ食べていればいいじゃん」って、アイスと照り焼きチキンバーガーだけ食べていました笑。それで身体を壊して、摂食障がいまでいってしまい・・・

このとき、実体験として初めて栄養を考えるようになり、栄養を整えたら身体が健康になったんです。食事が食べられなくて辛くて、でも改善できたのは栄養管理だった。美味しいものを食べる幸せが分かり、「栄養ってすごい」って身をもって気づかされました。

―― そこから栄養士を目指すことに・・・

富井 高校は商業高校だったのですが、実体験したことで、「これだ!」と志となって。猛勉強をして管理栄養士を目指す大学へ進みました。

―― 高校2年のタイミングで方向転換は大変だったのでは。

富井 大変ではありましたが、切り替えるとスイッチが入るタイプなんです笑。スイッチが入って、もう「栄養士になります」って。

ソシオークグループでのキャリア

―― 話しは戻りますが、葉隠勇進では栄養士の仕事をされたのですか。

富井 事業所への栄養管理のサポートとして新規事業所の立ち上げを主にしていました。献立とか発注とかを整えて、次の栄養士に引き継ぐという仕事です。お客様とのやり取りや社員の育成など、これまで経験したことのない仕事で新しい発見がありました。

―― 営業もされていたと時期があると聞きました。

富井 そうですね。マネージャーの後に、営業開発の仕事にキャリアチェンジしました。ソシオークグループの組織が変わったタイミングで、担当することに。

―― 「栄養士が営業」というのは珍しいと思います。抵抗はなかったですか。

富井 これまでの経験してきたことを活かして、自分の仕事の幅を広げたいと考えていましたので、営業開発の仕事には興味がありました。興味があるところはやってみたいタイプなので。病院とか福祉施設とか、自分で営業して、自分で立ち上げて。わりとはまりました笑。

―― 「栄養士としての経験」が活かせることはありましたか。

富井 営業開発では、施設の食数や設備、ご要望をヒヤリングして、お見積を作成します。現場経験があることで、想定される作業量から人員配置を考えたりするのはイメージがつきやすいということもありました。

栄養士が営業をする強みは、お客様からの献立・調理・食事形態などのご要望について、人員やコスト面でどこまで対応できるかを判断したり、行事やイベントメニューを提案したりできることです。先方の栄養士様と同じ目線で会話ができるので、信頼関係をつくることができ、受託につながることも増えました。成果が実感できるやりがいのある仕事でした。

それから、自社だけでなく、さまざまなお客様の施設を訪問するので、人との出会いも多くあり視野が広げることができました。

―― 大変なことは・・・

富井 資料作りとかプレゼンは独学と見様見真似で身に付けました。足りないところもいっぱいあったと思います。目標の数字に対して自分で営業して立ち上げもしなければいけなかったので、辛い時期もありましたけれど、達成感があるので楽しかったです。

仕事と子育ての両立「とにかく切り替えること」

―― 子育てとの両立はどうしていましたか。

富井 当時私の会社選びとして重要な条件は、自分の経験を活かすことができる仕事であることはもちろんですが、「仕事と子育ての両立ができること」も重要でした。

仕事が好きで働きたいから家のことも頑張りたい。でも、時間を短くするのはやりたくなくて。最初からあえてフルタイムを選びました。延長保育もして、なにかあればすぐに帰らなければいけなくて、「当時よくやったな」と思います笑。

―― 仕事と子育ての両立がしやすい環境だったのですね。

富井 勤務中に子どもが熱を出してしまうと保育園へお迎えに行かなければなりませんし、会社を休むこともしばしばありました。当時の上司が仕事と子育ての両立に理解あり、なんとか乗り越えることができました。2人目の出産のときも産休・育休を取得し、同じようにフルタイムで復帰しました。当グループは、会社全体で働くママを応援してくれる雰囲気があり、本当に助かりました。

―― 仕事も育児もどちらも楽しくってなかなか難しいなと思います。

富井 とにかく切り替えることですね。仕事は帰る時間が決まっているので、それまでに仕事を完結させるにはどうすればいいかを考え、絶対に帰るために終わらすことを心掛けていました。だらだらやって仕事を持ち帰りたくはなかったけど、「仕事が少ない」とも思われたくはなかったので。

会社を出たら切り替えて、「今日のご飯は何作ろうかな」と考えていました。

―― その中でも、子どもが何歳くらいの時期が大変でしたか。

富井 保育園に預けている間は楽な方で、小学校に上がってからの方が大変でした。学校の後、学童に行ってはいるもののどこ行っちゃうかわからないという不安もあったので。それに、上の子と下の子は7歳差でちょうど小学校かぶっていないんです。だから12年間小学校に行っていて、運動会も12回経験しました。楽しめましたが長かったです笑。

―― 上のお子さんは大学生で栄養士を目指しているということですが下のお子さんはいま中学生?

富井 はい、中2の息子は癒しです笑。今も一緒にスーパーへ行ったりもするのですが、反抗期が来たらどうしようと思います。悩んだときも子どもと趣味に癒されています。

―― 趣味ということで、趣味のSNSがすごいと噂をお聞きしました。

富井 北欧が好きで。ヴィンテージの食器とか雑貨とかを買ってストレス解消しています。コレクターなんです。SNSでは北欧の食器とかが好きな人同士でつながりコメントしあったりしています。でもリアルで会うことはないんです。

―― リアルで会わないと決められているんですね。

富井 リアルでは自分の本当に好きな人たちとだけでいいんです。すごく仲の良い友人は、高校、大学のときから6人だけ。

今の会社でずっと働けるような環境を作りたい